2007年12月記事一覧
もうすぐ2007年が終わる。
あまり話題にはされなかったが、今年は西郷隆盛が故郷鹿児島の城山で戦死して130年目の年でもあった。
わたしが西郷という人に強い関心をもったのは、評論家の渡辺京二さんが評論誌「暗河」(くらごう)に掲載した「逆説としての明治十年戦争」を読んだことからだった。この雑誌は当時福岡で発行されていたミニコミ誌で、大学生だったわたしは毎号定期購読していた。筆者の渡辺氏は近年「逝きし世の面影」(平凡社)や「江戸という幻想」(弦書房)で一躍世間に知られ、大ブレークした方だが、「逆説としての・・・」を読んで以来、わたしは彼の著作には必ず目を通すようになった。「暗河」の執筆陣はいずれもそうそうたる面々で、毎日出版文化賞を受賞した「宮崎兄弟伝」(全6巻・葦書房プラス「宮崎兄弟伝完結編」委員会)を書きあげた上村希美雄さんや、「苦界浄土・わが水俣病」(講談社文庫)の筆者石牟礼道子さんらが定期的に投稿していた。いずれも熊本在住の歴史家たちである。上村さんの「宮崎兄弟伝」はいまも全冊わたしの仕事場の本棚に揃えてある。(最後の「完結編」の出版の際には版元とトラブルがあったようだが・・)。
当時、彼らとわたしは全く無関係というわけでもなかった。面識はなかったものの、彼らが参加してた「熊本近代史研究会」の代表・花立三郎さんが学生時代の友人のお父さんだったからである。花立さんは熊本の思想家・徳富蘇峰の研究者で「徳富蘇峰と大江義塾」(ペリカン社)などの著書をもつ地元の有名な郷土史家だったが、同時に、高校の教師を勤めておられ、そのため、毎年生徒たちを引率して修学旅行で上京されていたのである。当然、宿泊地は本郷の旅館街で、近所に住んでいたわたしは彼に呼び出されては、生意気にも赤提灯で西郷や西南戦争、戦死した熊本共同隊の宮崎八郎、さらには吉田松陰の友人で、池田屋で新選組に殺された肥後の宮部鼎蔵を論じて、飽きることがなかったのである。
花立さんは宮辺に話が及ぶと、新撰組を激しく罵倒し、「官賊」と叫ぶのが常だった。後年、会津の「白虎隊記念館」を訪れたわたしは、「官賊」近藤勇や土方歳三が「真の武士」「義士」と解説されているのを見て、歴史認識を共有することの困難さを実感したのである。日本国内で、新撰組ひとつとってみてもこれほど評価は分かれる。いわんや中国韓国と一致するわけがないと得心したのである。
話が脱線したが、学生のわたしは結局それ以後、西郷と宮崎トウ天に惚れ込んでしまい、採算がとれないため、日本では発売されない辛亥革命前後の中国側の資料を読みたくて、中国語の学習を始めてしまったというわけなのである。そうした青春のなれの果てがこの有様である。
「逆説としての明治十年戦争」は不平士族のシンボルであり、反動としか見られていなかった西郷と西南戦争を「革命家西郷による第二維新革命」と位置づけて、反動化したのは実は大久保利通ら東京政府の側であって、西郷こそ、維新の夜明けを目にすることなく、倒れた同志たちの理想に殉じた人物なのだと言い切る。すなわち西南戦争とは西郷が「死者」たちと共闘した戦いだったのだという視点から書かれた。後になれば、それは決して珍しい歴史観ではなかったのだが、当時のわたしには充分に知的刺激に満ちた論文だった。以後、わたしの西郷狂いが本格化するのである。
【推薦文献】
「西南役伝説」(石牟礼道子・朝日新聞社)
「(朝敵とされた)西郷さんは天皇陛下よりも頭がよかったから必ず生きていなさる」と語る天草の老女の言葉は胸を打つ。「西郷には思想がない」と話す専門家がいる。愚劣な話である。「西郷隆盛」という思想が彼らには見えないのだ。当時もいまも人々は西郷という名前(記号)に対してあるイメージを重ね合わせる。それは高潔な人格であり、自己犠牲精神であり、大衆性であり、勇敢さという東洋的リーダーの姿なのである。西郷生存説ばかりか、「西郷星」伝説までが誕生した。明治政府に逆らった「薩族の首魁」だった人物に対して、である。このことがどれほど「革命的」なことなのか、はたして福田総理が「星」になれるかどうかを自問自答しただけで明らかだろう。ちなみにわたしの妻は鹿児島の出身だが、90過ぎまで長生きをした祖母は全身「薩摩おごじょ」という印象の人で、明治十年戦争をただの一度も西南戦争と呼んだことはない。「西郷ドンのいっさ」(せごどんのいっさ・西郷さんの戦争)とだけ彼女は語り続けた。「わたしたちは西郷ドンを擁して戦った。なにひとつ恥ずることはない」と。わたしはその言葉に激しく全身を震わせながら、ナロードの姿を、民草の姿を彼女のなかに見たのであった。
連絡先
〒892−0851
鹿児島県鹿児島市上竜尾町2−1
財団法人 西郷南洲顕彰会
電話・ファックス 099・247・1100
賛助会員 個人年1口 3000円
法人団体 年1口 10000円
http://www.saigou.jp/
風邪がなかなか回復しない。おまけに締め切りが集中していて、とてもクリスマス前夜のはなやかさなどどこにもありません。今年の風邪はきつい。起床しては原稿を書き、疲れるとふたたび寝るという悲惨な毎日がつづきます。
福田首相の中国訪問が27日からと決まりました。直前に発生した「日中ハイレベル経済対話」で合意・発表された文書の一部を中国側が一方的に削除した問題はなにごとも穏便を旨とする福田内閣では特に問題にはならなかったようです。高村外相もいたって物分りがよく、苦笑するばかりです。なぜか新聞もテレビも彼がチャイナロビー「日中友好議連」の会長ポストについている事実には触れようとしていません。以前取材した高村事務所の対応は実に愚劣で、女性秘書は取材にひたすら逃げ回るばかり。なるほど会長ポストとはいまどき必ずしも名誉職ではないのだな、と妙に納得したものでした。なぜ国民の税金で訪中し、人民日報にも「日中友好議連会長」の肩書きで紹介される高村外相の秘書は取材に応じないのか。それは内閣府の先日の世論調査にもあるように、国民の70%ちかくが中国に対して不信感情をいだいているからにほかなりません。
年内の訪問は中国サイドが強く希望し、これに日本側が応えたかたちです。最終的に12月ぎりぎりでスケジュールが決定したのは二階俊博総務会長の北京における中国首脳との話しあいの結果です。同時に懸案の東シナ海の海底ガス開発紛争についても、ついに落しどころは見つからなかったようです。何の対抗カードも用意せず、お願いだけをしているのですから、中国サイドが応じるわけがない。当たり前でしょう。
こうなるともう福田訪中は朝貢外交以外ではない。公文書削除にも東シナ海の不法採掘にも抗議しない。しかも来年3月に実施される台湾の国連加盟に関する国民投票にも反対を強く約束するはずです。
こうして首相を筆頭にして、与党である自民党・公明党と最大野党の民主党が競い合って朝貢し、それに社民党と共産党がエールを送るという馬鹿丸出し外交が続きます。
訪問地に天津が上げられているように、胡現政権は江沢民が上海をそうしたように、自分たちの既得権益のための開発地域にせんと、日本からの投資と援助を執拗に要請してくるはずです。その演出のための天津訪問なのです。加えて、首相の口から中国の環境と省エネ対策へ公的な経済支援も確約される可能性も高い。
胡錦涛たちは福田総理を訪問させることを通じて、日中関係を小泉、安倍の二大政権以前に戻そうとしています。中国のメディアが小泉政権当時の日中関係を「暗黒の時代」と呼んでいることは何度も書いてきましたが、それだけに福田訪問で「日中新時代」を演出したい。そのためには中国国民が容易にわかるような政治的なメッセージとセレモニーが必要とされるのです。それは日本側があらためて「歴史認識」を再確認し、過去を反省し、靖国神社公式参拝を明確に否定することです。さらにそれらを実効性あるものにするためには、福田総理が中国国内最大の反日記念館である北京の抗日記念館など「日本軍国主義の罪科」のシンボルを訪問し、「不戦」と「日中友好」を「表態」(行動で示す)する以外にないでしょう。また「友好」はただではありません。「援助」再開もまた欠かせないものです。具体的には08年に終了したODAに替わる「第二のODA」が不可欠となるはずです。そもそも中国が言う「日中友好」とはなにか。中国共産党に敗北した「侵略国」日本がその罪科を永遠に謝罪し続け、中国国民の排外的なルサンチマンを満足させ、それを通じて、日本の政治的軍事的台頭を牽制することなのです。また「戦勝国」中国は日本から賠償金をうけとる権利があり、それを中国ではなく日本の側から申し入れさせることも欠かせない。これが日本の贖罪意識を徹底的に利用した北京の側から見た「日中友好」の実態なのです。彼らに日中共同声明で周恩来が賠償金を放棄した事実を何度話しても、なにもかわらない。近代的な市民革命の歴史をもたない中国国民の夜郎自大ぶりは際立っています。
贖罪と援助。このふたつを福田総理が具体的にあらわして始めて、中国がいう「暗黒の小泉時代」が名実ともに終わるわけです。逆に日本人の側から言えば屈辱と絶望の「日中友好」がまたまた再スタートするというわけです。しかし、日本がどれほど今後も中国を支援したところで、彼らが日本に感謝することはありえない。日本の援助は緒戦は賠償金なのです。指導者が下手に感謝などすれば漢奸(売国奴)として彼らは失脚するでしょう。周恩来ですら対日外交ではそうした非難の声が一般的なのです。
総理の中国訪問について、注意してほしいのは新聞テレビの報道です。訪問中の記事の大部分は外報部ではなく、政治部の記者が書きます。彼らは政局に関心はあっても日中関係や中国の実情に詳しいわけではありません。そのためソースは外務省や首相周辺など「訪問成功」の声にミスリードされ、記事にも自信がないため各社横並びになりがちです。記者クラブ制度が招いた記者の取材と分析能力の低下は目を覆うばかりで、安倍訪中の際にも「首相が靖国神社参拝について言明しなかったため、訪中が成功した」なる「解説」が飛び交いました。大笑いです。事実はそうではない。中国の側が尻に火がついたのです。反日デモのせいで、日本からの投資は翌年06年度は30%も激減、減少傾向にはいまも歯止めがかかっていません(今年もほぼ同じで30%台)。
民間の投資が減っただけではない。当てにしていた日本のODAも08年度で中止が決まった。そのため、11次5ヵ年計画(2001−2005年)の予算にも影響が及び始めていたのです。そもそも日本のODAは当初は5ヵ年一括で供与されてきました。理由は中国の5カ年計画に合わせていたからなのです。つまり中国政府は予算を組む場合、最初から日本の援助をカウントして長中期の経済計画を練っていたのです。そのODAがストップした。これには中国政府内部でも危機感が高まった。1年で平均2000億円規模のカネがコンスタントに入っていたのです。中国国内でもジャパンマネーに群がる特定勢力がうまれ、彼らがこの30年間に築いた巨大なODA権益は膨大なものになっていたのです。
政府内部でも、日本の援助中止に、商務部(対外援助の窓口)は動揺し、反日デモにも内心では大ブーイング、彼らのなかにはこうはき捨てる人もいたのです「あのデモ隊の馬鹿どもが!」
安倍訪中の二ヶ月前、北京で「外事工作会議」が開催されました。ここで胡錦涛主席が演説し、対日関係を改善し、中国経済への協力と支援を活発化させ、今後も日本から一層の資金と技術を手に入れる方針が確認されました。会議の要約は人民日報に掲載されています。この記事を中国語で読めとまでは言いませんが、外信部をつうじても翻訳文くらいは手に入るはずです。しかし、安倍訪中について論じた各紙の記事にはそうした中国サイドの事情を深く読み込んだ複合的な記事は見当たらず、ひたすら日本側が靖国神社参拝を中断したことだけが関係改善の理由であるかのように、特筆大書されていました。これでは欠陥報道を批判されても止むを得ません。プロなら最低限、本物の商品を売るべく努力すべきではないのでしょうか。
追加
福田総理の訪問にも関連しますが、中国はかなりやばい状態に陥りつつあります。昨今の経済指数、首脳の発言、メディアの報道など、まるで89年の天安門事件前夜を思わせるほどです。物音はまだかすかにしか聞こえてきませんが、いずれなにかが起こるでしょう。
推薦本
核を売り捌いた男(ゴードン・コレーラ・ビジネス社)
北朝鮮の核開発をひそかに支援した人物といえばパキスタンのドクター・カーン。彼を中心に、中国、北朝鮮、イラン、リビアと拡大し続ける核の闇市場の実態とこれを追求するCIAやMI6の知られざる活動を紹介したもので、筆者はBBCの現役記者である。
これを読むだけで、良し悪しは別にして冷戦終了後、世界各国が国家の生存をかけて、核保有に全力を注いでいる現実がよくわかる。対して、わが国はどうか。
中国の核も北の核開発もどこかよその国のお話である。
リアリズムなき国民はリアリズムによって報復される。この本を読めばいやでもそんな感想をもつ。
ビジネス社 (2007/11/13)
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締め切りぎりぎりなので今日は簡単に。
『民主党訪中団』
自民党といい、野党民主党といい、あまりに朝貢外交が露骨過ぎはしないか。日本人の主体性もなにもあったものではない。
小沢訪中についてひとつだけ書いておきたい。日本の政治家のなかで胡錦濤総書記の出身組織『共産主義青年団』ともっとも親しいのは小沢一郎である。
彼が20年ほど前から始めた『長城計画』のパートナー組織がこの団体だったからだ。小沢はこのプロジェクトを経政会の実力者竹下登がほぼ独占化していた中国コネクションとは別な自分のための外交パイプに育てたかったのである。
ではなぜ『共産主義青年団」だったのか。理由は胡耀邦元総書記が中曽根元首相との『癒着』を理由に失脚してから、この団体と日本を結ぶコネクションは消滅していたからである。
ちなみに胡と中曽根が提唱して建設されたODA案件である「日中友好青年交流センター」(北京市・約100億円の無償援助)では敷地内のカラオケで公然と韓国人ビジネスマンたちが売春を行っていた。だが当局は取り締まらない。それはここが共産主義青年団など『中青連』の経営する場所だったからだ。
売春は総書記をいただく巨大政治集団の政治力に保護され黙認されていた。当時のこのセンターの管理と経営の最高責任者こそ会見した胡錦濤であり、10月の党大会で政治局常務委員に躍進した旧知の李克強だった。
小沢はもちろんそんな過去をとがめることなどしなかった。
お笑いなのは会見に同席した田中真紀子も同様だ。
外務省改革をキャッチフレーズに、外相に就任した真紀子が中国を訪問して最初にしたことはなにか。友人であるトウ小平の息子・撲方中国身体障害者連合会主席と会見した際に、彼がトップにいる『中国身体障害者センター』に数千万円の医療器材支援をその場で決定したことだ。同センターはこれも日本の無償援助で建設されたものだが、真紀子の親友の撲方は最高指導者のコネをカネに代えて暴利を貪った腐敗のシンボルとして、天安門事件の際に槍玉に挙げられた人物なのである。そこには触れずにポンと数千万円のカンパ。所詮は他人のカネだということなのだろう。
日本のODAにからむ疑惑には口をつぐみ、要人たちをヨイショするだけの会見。くりかえす。これこそが朝貢外交なのである。
田中角栄の中国訪問から35年。『古い友人』たちの劣化だけが進む。
●お知らせ
(1)チャンネル桜の正月特番『角栄失脚』のなかで、評論家の渡部昇一さんと田中角栄について対談します。ロッキード事件の裏話、田中の第三世界外交などを語り合います。
(2)戦略情報研究所のニューズレター「おほやけ」に『揺らぐ改革開放の旗』を書きました。中国はそう遠くない将来、天安門事件程度の社会的衝撃にみまわれるだろうと予想しています。
●読んでいます
(1)高学歴ワーキングプア(水月昭道・光文社新書)
日本の不条理なまでに貧しい大学院生たちの話。話題本。
(2)榮氏家族如何富過三代(中国華僑出版社)
中国の不条理なまでにリッチなブルジョアの話。
自慢も過ぎると、いずれ民心は造反有理に。

*トウ小平のトウは、正しくは
です。
来年は2008年、世界を見渡せばさまざま政治イベントがある。なかでも注目は11月の米国大統領選挙である。現状では民主党ヒラリー・クリントン候補が下馬評で圧倒的な優位に立つ。
そのヒラリーの夫であったビル・クリントン合衆国第42代大統領が、天安門事件以後始めて中国を訪問してから来年で10年になる。クリントンは大統領選挙期間中のキャンペーンで、『天安門からバグダッドまで、あの無法者たちを許さない』と、トウ小平ら中国指導者たちとフセイン・イラク大統領を激しく糾弾し、同時に対立候補であった現職の共和党大統領、ジョージ・W・Hブッシュの『対中融和外交』を非難の遡上にあげた。
そのクリントンが中国を訪れた。それはなにからなにまで異例なものだった。彼はこれまで歴代の合衆国首脳が中国を訪問する際に立ち寄った日本と韓国には足を踏み入れず、しかも日本上空を通過することなく、アラスカ経由でいきなり西安に降り立ったのである。これも米国首脳としては初めてのことで、これまで米国大統領の中国訪問の際は、まず最初に首都北京を訪問するのが慣例であった。
日本「PASSING」と西安訪問の意図はなにか。西安があの蒋介石国民党総裁が張作霖によって監禁され、共産党との「一致抗日」を約束させられた『西安事件』の舞台であることは誰でも知っている。
天安門事件後初めて中国を訪問したクリントンは『中国首脳の意向を受け入れて』(中国共産党関係者)このスケジュールを実現させた。彼は「同盟国日本」を遥かに遠望しつつ、抗日のシンボルである国共合作の地・西安に最初の痕跡を刻んだのである。
クリントンは中国に9日間滞在している。これは米国史上、大統領が外国に滞在した日数としては最長である。さらに同行した随員はこれも史上最大の1200人。前回ブッシュ・シニア訪問時の500人の2・4倍の急増ぶりである。理由は同行メンバーのなかにIBM,GMなど米国大企業の首脳が多数加わり、中国で大型商談が行われたためである。
クリントンは上海で、中国の新興青年資本家たちとランチを楽しみ、同地で台湾独立に反対する発言を行った。中国大陸を去った大統領は次に、1年前に英国から返還された香港の地で、『安定し、繁栄した中国は米国の戦略的パートナーである』と宣言して訪問を終えた。奇しくも、彼がハワイ島に帰国、到着したのは7月4日。222年目の独立記念日の当日だった。10年前に行われたクリントン訪中の戦略的意味を解読しなければならない。
訪問からさかのぼること100年前。英国からの独立を達成し、西に向かって国を開いてきた米国が、始めて米西戦争でアメリカ大陸以外を地域を支配したのが1898年のこと。フィリピン、グアム、キューバ、プエルトリコが米国の影響下におかれ、植民地化された。
それまで欧州の『植民地』獲得レースを非難してきた米国がアジア太平洋に一大覇権を求めて活動を始めた最初のきっかけである。
第一次世界大戦までで、すでに米国のGDPは世界の33%を占め、英国を抜いて世界一に達していた。資本主義大国米国は貪欲に新しい市場を必要とする。冷戦が終焉し、米国のアジア太平洋支配が完成した。それを受けて、クリントンは建国史上最長にして最大規模の米国ミッションを従えて、中国に対して「大遠征」を実行したのである。
米国は自らの意志で計画経済から市場経済にと移行していた中国を次のフロンティアと見て、進出と関与を本格化させた。あれから10年、いまや米国は事実上中国第二の投資国であり、ハイテク、宇宙、金融と日本がキャッチアップできない産業分野で圧倒的な影響力をもつ。経済貿易関係のつながりの深さはそれにふさわしい外交的枠組みを求める。
妻・ヒラリー・クリントン候補はいう。『中国は米国が最も重視すべき国。協力関係を拡大していかなければならない』(フォーリンアフェアーズ最新号)
米朝接近と日本人拉致問題の切り捨て。背後にあるのは朝鮮での対決を回避しようとする米中の本音である。中国は経済建設のために、周辺の安定を確保したい。また米国はアジアではもう戦いたくない。朝鮮半島と台湾はリンクした一本の線である。危機の発火地点を米中は共同で管理しようとしている。その最初の具体的なテストケースが朝鮮半島なのである。
●書いています
「SAPIO」
(12月12日号・SAPIOS EYE・『日本に機密情報を漏洩した「中国人スパイ」に死刑判決を出した胡錦とうの深謀遠慮』
風邪気味です。締め切りを抱えていて、ヤバヤバの気分です。
*トウ小平のトウは、正しくは
です。






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