『韃靼』開発プラン
あっという間にお正月も終わり。仕事のあいまあいまに暮れから読み終えた本を紹介します。
私はあまりベストセラー関連本には関心がなく、古典を読むことが多いのですが・・・
今回は平凡社の東洋文庫から。
「韃靼漂流録」(園田一亀)
嘉永21年(1644年)、越前の商人・国田兵衛門ら58人が船で松前に向かう途中、暴風雨のため、韃靼国(今の中国東北地方)に漂着、多くは現地人に虐殺されるものの、残った15人の漂流民は韃靼の都盛京(現在の瀋陽)に連行され、ここでは一転して厚遇をうけ、無事帰国を果たすことができた。本書には彼らの一連の体験の聞き語りが収められている。
この記録が貴重なのは、彼らが瀋陽に着いた時期と、満州人の清国建国が重なっていることだ。首都移転のため膨大な数の満州人が北京に遷都する際の同時代の証言は他にない。
建国直後の北京の姿は実にリアルに描かれていて興味深い。万里の長城の描写は印象的だ。
中国史は結局、漢民族と北方民族の覇者争奪の歴史なのである。
この韃靼漂流記は過去の話だとばかりはいえない。なぜなら日本人商人たちが漂流した場所は、現在でいえば、ロシア領のポシェット湾あたりで、この側を日本海側に向かって流れているのが北朝鮮の豆満江なのである。つまり350年前、北陸の日本人たちは現在、米朝関係改善のなかでスポットを浴び始めた豆満江地域に流れついていたである。(もともと韃靼国=清国領だった場所がロシア領に編入されたのは愛グン条約と北京条約による)
中国が東北開発に、豆満江開発マネーを利用しようとしていることはこれまでたびたび指摘してきたが(『中国の黒いワナ』参照)、今年6月には新潟で東北三省関係者と日本企業の大々的な交流とシンポジュームが開催される。これは昨年秋、日本財界の対中ロビー『日中経済協会』が中国を訪問し(154名と歴代最大の規模!)中国政府との共同作業として実現するものだ。また日中経済協会の訪中と同時期に、日本財界の総本山『経団連』が正式に「東アジア共同体」を『真剣に議論すべき時期が到来している』提言していることも注目される(『対外経済戦略の構築と推進を求める』)。なかでも『『共同体』の構築には日中間の経済連携の強化が不可欠のステップである』ことが強調されていることは特筆しておきたい。
東北三省の再建と天津を第二の上海に、(渤海経済圏構想)と外資を積極的に誘致しはじめた胡錦とう政権とコスト高が構造化してきた沿岸部から東北アジアに生産拠点をシフトし始めた日本財界の思惑は長期的には重なりあう。
暮れのぎりぎりに実現した福田総理の中国訪問は極めて短時間のあわただしいものだったが、天津視察に時間がさかれているのは『日中経済共同体』戦略の文脈から理解すべきなのである。日本海側の中心都市新潟と韓国の束草、韃靼漂流記の現場近くにあるロシアのトロイツァをむすぶ環日本海フェリーが就労を始めた。将来的には北朝鮮の羅津港もこの寄港地に想定されている。
こうして北東アジアの関係各国の国益をむき出しにした日本取り込み外交が本格化する。
拉致問題と日朝正常化はそれ自体単独で存在しているわけではない。日本が6者協議に参加し、共同宣言にサインした段階で、周辺関係国による日本収奪の構図は既定のものになってしまったのである。
(筆者の園田氏はこれ以外に「韃靼漂流記の研究」があり、南満州鉄道(満鉄)の鉄道総局から刊行されている。こちらは入手が困難であり、私は国会図書館で読んだ。
満鉄の遺産は大いなるものがある。ちゃんと足で歩いて情報を取っているし、デスクワークも時間をかけてじっくり整理分析されている。
急転する北東アジアに対する情報収集と分析は急務なのだが・・・。
次回は同じ東洋文庫の『朝鮮事情』を今日的文脈からどう読むのかを書きます。
中朝間に生まれた対立と矛盾を日本がどのようにして利用していくのかという話です。
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