九段会館にて

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GWにチャンネル桜主催の討論会に連日パネラーとして参加した。参加された方、主催関係者の方々にお礼を申し上げます。数が多くなかったのは残念でしたが、それだけに参加者とパネラーの直接触れ合う機会があればよかったと思います。これは次の機会に。

討論会自体は不満の残るものだった。なかでも二日目はそもそも議論自体が成り立たない。それは『リベラル』とされる出席者の方と『現状認識』がかみ合わなかったからである。
こういう体験は過去にもあった。ある左派系の軍事評論家の講演会で講師が激しく日米安保の「再定義」を批判したことがある。それはそれでいいのだが、問題は中国の軍事的台頭という現実があり、その側面に触れない現状『分析』は一方的かつ、不公平ではないのか、と私が質問した際の彼の発言だった。
『それはそれとして、でも今回の日本政府の行動は憲法違反です』と不愉快そうな返事が返ってきただけだった。主催者側もこれ以上の質問を打ち切った。
彼が憲法を擁護するのは構わない。だが、そういう自身の党派的な立場を優先させて、講演参加者が最も関心をもつ『軍事評論家』としての地域の専門的な分析がないがしろにされた印象は否定できなかった。だがそれでいいのか。彼は軍事分析のプロなのだ、法律家ではない。私はあの場に憲法第九条の解釈を聞きに行ったのではない。ジャーナリストや評論家はまず事実を前提にして論を進めるべきであって、逆であってはならないと思う。理念は現実から構築されるべきなのだ。

九段会館の講演ではファクトが大前提となって、論争が行われるべきだった。私たちは「人間はいかに生きるのか」とか「私の人生哲学」など抽象的で哲学的なテーマを論じようとしていたわけではないからだ。討論のタイトルも「胡錦濤訪日、北京五輪、東アジア大討論」と具体的である。だがそれは成功しなかった。そもそもパネラーそれぞれの現状認識が違いすぎるし、総じて貧弱だからだ。
その結果論議は揚げ足取りの終始した。
「左」の論者からは中国のチベット侵攻を問題にするのなら、米国のイラク侵攻はどうなのだ、という声が上がった。それ自体は問題ない。だがそれを言うのなら、そもそも侵略と連帯はどう違うのか、具体的状況において両者の間に明確な区別が出来るのかどうかという根底的な論議に話を進めるべきなのだ。そうすれば、竹内好が日本のアジア主義の中で提示した日本近代のアポリオが浮かび上がるし、日本とアジアとのかかわりを明治にさかのぼって、論じることが可能になる。そうしてこそ、文字どうり「左右」の間の「東アジア大討論」になりえたのである。
あるいはあるパネリストが肯定的に語る「東アジア共同体」をテーマにするのなら、現実に中国ははずせない。そうなら、現在、中国が東アジアの共同体メンバーに対して行っている経済的政治的覇権をどう見るのかが次に論じられるべきである。
人間サファリツアーという聞きなれない言葉がある。中国と北朝鮮の国境を流れる鴨緑江。この川を遊覧する中国の観光船から対岸の北朝鮮に向かって、中国人観光客が食料や生活物資を放り投げるのである。
それを腹をすかせた北朝鮮の「人民」が争って取り合う光景を皆で鑑賞するツアーなのである。この企画大人気だという。露骨で、傲慢な目を背けるような「観光」である。これでは北朝鮮住民は上野動物園のサル山のサルと変わらない。
この現実についてアジアとの「国境と民族を越えた」「共生」を唱える地球市民たちは抗議すべきである。これは許される行為なのかどうか。「東アジア共同体」の出現は中国の経済的台頭とメダルの表裏である。だが中国の経済大国化は周辺の小国や国内の少数民族との「共生」ではなく、彼らに対する大国主義的侮蔑と蔑視感情を醸成しつつある。これこそが現実なのだ。チベット蜂起はそうした中国人の民族浄化に対するチベット人の人間としての怒りの爆発だったのだ。
具体的テーマは抽象的にではなく、具体的に論じられなければならないと私は思う。ジャーナリストがそれをしないで誰がやるというのだろう。
「人間ツアー」的なるものはミャンマーでも、モンゴルでも、そしてチベット、ウイグルでも普遍的に観察される。中国人は彼らの文化や資源や誇りまで奪おうとしている。だから国際社会は告発したのだ。この事実に目をふさいだ東アジア共同体論争など無効である。
だが、「中国人を批判するな」と発言する方がいた。残念である。地下で魯迅は泣いているだろう。「阿Q正伝』は彼が自国民に対する絶望と怒りとそして愛情と希望をこめて書き上げた書である。
中国人の反省のなさ、「精神的勝利法」と言う名の自己満足、上から扇動されれば、何度でもたやすく乗せられてしまう主体性の欠如、そしてそんな阿Qの処刑を見物する大衆たちの存在。彼らの視線のなかに秘められた好奇と残忍性こそが「人間サファリ」と重なりあう。魯迅の愛国心は集団で赤旗を振りまわすことではなかった。否、そうした「中国人」の存在にこそ、怒りのまなざしはむけられた。中国人の中にある阿Q精神こそが彼の敵だったのである。「中国人を批判した」人物。それが魯迅だったのだ。
魯迅はこの小説を「未来の子供たちのため」に書いた。中国人よ、変わらなければいけないと。それが彼の「愛国の作法」だったのである。魯迅は間違いなく本物の愛国者である。
私は学生時代に魯迅と出会った。彼の選集も揃えた。小説はうまくない。ひたすら重い。個人的には「故郷」が好きなのだが、やはりそう思う。その魯迅が同志であった内山完造を通じて西郷隆盛に関する著作を集めていたという(「橋川文三選集」)
論ずるべきはこうした歴史的事実である。日中両国の近代史が「野蛮な日本軍国主義」と「中国人民の闘争」だけだったとされては適わない。そんなことを思いながら私はあの日、演壇にいた。




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