筑紫哲也と竹内好
60年安保反対運動の代表的知識人・中国文学者竹内好は安保強行採決の二日後、都立大学の教授の職を辞した。岸内閣への抗議と、内閣を批判する以上、国の録を食むことはできないという理由からだった。
72年日本と中国は国交を回復した。その年、同人誌『中国』を主催していた竹内は同誌の廃刊を決意する。それは国交正常化により、これからの中国研究は『体制に奉仕するものになる』との認識によるものであった。
竹内死して、すでに30年。いまや、ちまたには政府を批判する大学公務員はごろごろとあふれかえっている。彼らの口から出てくるのは時流に迎合するだけのワンパターンな政府攻撃と計算高い自己保身だけである。
それは学者に限らない。記者クラブに安住し、高給に胡坐をかき、既成の、それも仲間内にだけ通じる党派的な言説を振りまいてきた『ジャーナリスト』も同様である。
本日、訃報が伝えられた筑紫哲也氏もそういう「言論人」のひとりだった。彼の死は新聞記者に代表的な無責任な「戦後言論」が終焉したことの象徴のように思える。
私は過去彼を批判の遡上にのせたことがある。『筑紫哲也「妄言」の研究』(宝島REAL)のなかの『筑紫哲也『中国報道』の無知蒙昧』がそれである。〔このムックに対する筑紫氏サイドからの陰湿ないやがらせはここでは書かない〕
文中で、私が指摘したかったのは、彼らの世代に特有な中国朝鮮に対する露骨な党派性だった。2000年10月、筑紫氏は来日した朱容基中国首相をスタジオに招き、インタビューを行っている。
その際のことである。彼は朱首相の発言、つまり『日本はこれまで全ての正式な文書の中で、中国に謝罪したことはない』に対して、直ちに相槌を打ちながら、「そうですね。そればかりか日本は賠償金も払っていない」と応じたのである。
冗談ではない。ウソをつくな。日本政府はこれまで中国に対して、くどいほど『正式な文書のなかで』謝罪を繰り返している。
72年の「日中共同声明」、98年の「日中共同宣言」がそれである。文書と言う形ではないものの、談話と言う形で、村山首相の「村山談話」と、謝罪の数はそれこそ枚挙にいとまがないほどである。
馬鹿馬鹿しいのは、そもそも上に上げた「共同声明」も「共同宣言」も共に、署名しているのが、ほかならぬ中華人民共和国の周恩来中国首相であり、江沢民国家主席だったという事実である。つまり、朱発言は、中国政府を代表して最高首脳が直接、署名し、日本政府との間で相互に確認しあった公文書の内容を否定したということなのだ。異様な話ではないのか。日本バッシングのためならなんでもあり、ということなのだろう。
ここで、筑紫氏が仮にも「ジャーナリスト」を名乗りたいのであれば、「いや、日本は公式に何回も謝罪していますよ。賠償金を払っていないのも、周恩来首相が『永遠の友好のために』と言って放棄すると決断されたからです。朱首相にも、もうすこし「正しい歴史認識」をもっていただきたい。また、日本は賠償金代わりの中国向けODAをもう20年間も続けています。日本が最大の援助国で、すでに総額5兆円(来日当時合計)。中国の公的援助の三分の二に相当する金額です。条件も日本が一番いい。中国の領土を世界一奪ったロシアも、アヘン戦争を仕掛けた英国もこんな支援はしていません』と即座に反論すべきだったのである。
馴れ合いの欺瞞的な「友好」劇ではなく、こうした事実こそ、筑紫氏は語らなければならなかった。この歴史的事実こそが、あまり使いたくない言葉だが、「永遠の日中友好』の大前提になるべき事項だからである。
だが、現実にはこうした事実は一切言及されることなく、筑紫氏はひたすら中国要人の言葉にうなづきながら、迎合するだけだったのである。
私はいまネットで口汚いまでに筑紫氏を罵っている人たちに賛同しない。それは死者を送るにふさわしいマナーではなかろう。だが彼の死を『日本を代表するジャーナリストの死』として語る言説だけは首肯できない。
少なくても朱へのインタビューにおいて、彼は事実に立脚すべきジャーナリストではなく、過剰なまでの贖罪史観に囚われ、事実にすら目を向けようとしなかったサヨク『評論家』でしかなかったからだ。これで「日本を代表」されたのではたまらない。だがこうした彼の何が何でも中国に迎合しようとする病的な姿勢がある時期、一部のメディアを中心に、ひたすら『良心的日本人』と持ちはやされてきたことも事実だった。それは今も続いている。
筑紫氏がオウム事件の際『TBSは死んだ』と発言したこともよく知られている。が、彼はだからといって、ニュース23を降板することはなかったし、年間数億円という契約料も手にし続けた。贖罪は彼に『名誉』と膨大な冨をもたらしたのである。
冒頭に紹介した竹内好は公立大学の教授の職を去った。『政府を批判したなら税金から給料をいただくわけにはいかない』と。その竹内は日本の『侵略』についてこう語る。
『そもそも具体的状況において,侵略と連帯を区別できうるのか。それが大問題である』。
竹内は戦後の日本を覆い尽くした戦前の暗黒侵略史観に対して、ぎりぎりのところで、日本人の正当性を主張しようとした左翼思想家であった。彼は時流に迎合することを拒否し、虚名とは無縁な、誠実で清貧な、愛国者として没した。彼の生命を奪ったのは筑紫氏と同様、肺がんである。
私は良質な左翼と巷に徘徊するサヨクを峻別しなければならないと思っている。
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