書評『渡辺京二』(三浦小太郎著)

5月8日、ニューズレター・チャイナ通信5月号を配信しました。

(以上、8日追記)

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渡辺京二 (言視舎 評伝選)

書評「渡辺京二」
著者:三浦小太郎  言視舎・4104円

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一般には本書で取り上げられている渡辺京二は「逝きし世の面影」で一躍ブレークした歴史家だと思われがちである。

だが、事実はそうではない。彼はその遥か以前から、九州熊本を拠点に様々な言論活動を行い、その孤高の思想営為は一部から高い評価を受けていた歴史家・思想家だからである。

本書の執筆者は評論家・三浦小太郎。一読した感想から書いておくと、渡辺京二は最良の優れた読者を持っている。これが正直な感想である。

友人でもある三浦から届いた今年の年賀状に「渡辺京二論を出します」とあったので楽しみにしていたところである。

本書を読み終えて、その期待は裏切られなかった。

三浦は刊行された渡辺京二の膨大な著作・テキストを丹念に読み解き、一般には公開されていない小冊子にまで批評の視野を広げ、彼の生きてきた長い個人史と思想的発展を紹介する。

そこから浮かび上がるのは、近代日本の「正当な歴史観」に異議を申し立ててきた渡辺の孤高の知的闘争の歩みである。

巻末の参考文献も充実していて、これほど高水準の渡辺論は他に類書がないのではないか。

本書の目次

  • 大連
  • 闘病生活と若き日の歌
  • 小さきものの死と挫折について
  • 吉本隆明と谷川雁
  • 患者との「心中」を決意した水俣病闘争
  • 処女作「熊本県人」
  • 「ドストエフスキーの政治思想」
  • 神風連と河上彦斎
  • 西郷隆盛
  • 宮崎滔天
  • 北一輝
  • 2・26事件と昭和の逆説
  • 消費資本主義との思想的格闘
  • 消費資本主義との闘い
  • 石牟礼道子とイリイチ
  • 逝し世の面影 滅び去った文明
  • 戦国乱世と徳川の平和
  • 黒船前夜
  • 歩み続ける人

最初に筆者は異国大連における幼年期の生活体験と4年半もの結核による闘病生活が「思想家渡辺京二を生み出した」と指摘する。

当時、結核は不治の病だった。
この時期に彼が書いている詩はそうした状況を背景において考えると、味わいのあるもので、そのあたりも本書で感じ取ってほしい。

ちなみに渡辺が社会復帰したのは53年だが、その翌年、埼玉県の春日部療養所で闘病生活を始めたのが「寅さん」こと渥美清だった。ここで彼の内部には「同じ病院で死んでいった人々や女に裏切られた病人の姿が揺曳していた」(「おかしな男渥美清」小林信彦))

以後、渡辺は目次にあるように、様々な人々と出会い、その思想に触れ、同時に、それを内在的に自らの思想とし、それを世に問うことをスタートする。それがいかなるものであるのかは本書を手に取ってほしい。

私が強い関心を持ってページをくくったのは第9章(「西郷隆盛」)と10章(「宮崎滔天」)である。

これには私的な理由がある。

話は前後するが、渡辺は私も大学生のころから関心を持っていた思想家で、当時、神田神保町のすずらん通りにあった中小出版社・地方出版社の専門書店で九州で発行されていた「暗河」(くらごう・季刊誌)を毎号購入していた。

理由はこの雑誌に渡辺がほぼ定期的に執筆していたからである。

衝撃を受けたのが本誌第9章のなかで詳細に紹介されている「逆説としての明治十年戦争」(1975年春号)だった。

渡辺は一貫して西南戦争を明治十年戦争と呼ぶ。そこには官の側の公式歴史観に組することを拒否する彼の姿勢があり、歴史の読み換え作業が内在している。

渡辺の西郷論は「国民作家」司馬遼太郎が近代思想で丸ごと解釈しただけの「翔ぶが如く」のなかの西郷・西南戦争論を遥かに超越している。

西郷を「封建士族」の代表であるかのような論評に渡辺は徹底的に批判を加え、その説得力は圧倒的だった。日本に限定していえば、葦津珍彦の「永遠の維新者」と並ぶ西郷論の双璧だろう。

渡辺は「西郷の本質、人類史的意味」を高く評価し、「西郷の夢見た近代は・・・再び人類史の課題として生き返るかもしれない。なぜなら人類史の普遍的課題は西洋と言う歴史的地域が担い通し得るものとしてはもはや存在していないからだ」とも予見する。

恐るべき慧眼である。

だからと言って、彼は多くの西郷ファンのように、盲目的に西郷を褒め称えているわけではない。

その一例として、渡辺は西郷が年貢半減を唱えて、粛清された幕末の赤報隊粛清劇の責任者であったことを「この偉人の最大の汚点」と指摘しているからである。

西郷ドン万歳主義者が決して触れない英雄の大きな過ち。それが草莽の革命軍・赤報隊処刑への加担だった。赤報隊事件は西郷と薩摩藩が深く関与していたがゆえに、西郷死後も、例えば大山巌など旧薩摩藩の指導者にとって最大の政治的タブーであった。

「相楽総三とその同志」(長谷川伸)によれば、相楽総三の孫・木村亀太郎が祖父の死について、説明を乞うため、板垣退助の紹介状を手に、大山邸を訪れたものの、彼が総三の孫であることを理由に大山は会おうとはしなかったという。

「相楽君と最も親しかったのは薩摩藩の指導者たち」(板垣の証言)は生涯、赤報隊事件の「闇」について口を開く事はなかった。

それは薩摩と並ぶ明治維新の中核長州藩指導者が奇兵隊粛清についてほとんど語らなかったことと重なり合っている。

渡辺の西郷論は単純な西郷崇拝者のそれではない。が、同時に戦後左翼の讃える反近代派の西郷論とも隔たった地平にある。

当然のことだが西郷は神様ではない。赤報隊粛清を「最大の過ち」と言い切ったことで渡辺の西郷論は強い説得力をもっている。

昨今、明治維新の見直しが活発である。歴史の解釈は常に変わりうる。西南戦争を「士族の反乱」と見るのはあくまで政府側の視点であって、そうした血の通わない、平板な歴史認識が本当に正しい歴史観なのかどうか。

世界はポストモダン(近代以後)からプレモダン(近代前)に回帰しつつある。すでに、「歴史は進歩する」という信仰には疑問符が打たれ、前近代の再評価が大きな政治的潮流となり始めた。

「人類史の普遍的課題は西欧と言う歴史的地域が担い通しえるもの」ではなくなっている。

今となれば1989年春、米国のフランシス・フクシマの書いた「歴史の終焉」はあまりに早すぎた「予見」だった。自由と民主主義が冷戦で勝利したことでもはや戦争もクーデターも起こりえない。彼はこう言い切っている。

いまになれば、これこそが近代主義合理主義者の蹉跌の始まりだったのである。

近代民主主義がグローバル化し、行き着くところにまでいった現代、世界各地で欧米が主導した近代民主主義という「崇高な価値観」への懐疑が噴出している。

たとえば、中東で米国は地域の独裁政権を民主主義の名において攻撃し、打倒した。だが、期待に反して、出現したのは民主主義そのものを欧米キリスト教的思想として排撃するイスラム原理主義とISなるテロリスト集団だった。

中東に「春」は来なかった。現代の独裁政権が持つある種の近代性・開明性が封印してきた前近代の異物。サダムが、カダフィーが、倒されたことで、皮肉なことに、より恐ろしい彼らが世界史の前面に登場してきたのである。

「人権に国境はない」と語る欧州は中東から難民が人権と言う普遍的理念を信じて彼らのもとに殺到した瞬間、国内の混乱を理由に彼らを選別排除し始めた。オーストラリアでは「移民排斥を唱える極右候補」(あまりにも決めつけがすぎないか)が歴史的勝利を手にしたばかりである。

普遍性を持つはずの近代民主主義の価値観は「国家エゴ」とナショナリズムの前に空洞化する。いまや、市民革命と近代資本主義の発祥地英国ですらも、EUから独立し、再び自国国境の内部に回帰しようとしている。

だが、冷静に考えて、中東に本当に民主主義は存在しなかったのだろうか。そうではなく、なかったのは異文明としての欧米風味の「民主主義」だっただけではないのか。

私は西欧民主主義がイコール悪だと言っているわけではない。その良さも理解しているつもりである。

だが、それは非欧州の人々にとっては、自国の文化や歴史にルーツをもたないがゆえに、アプリオリ(先験的)に外来思想としてしか受け止められない。そしてそうした「正義」の強要がはたして文明の名に値するものなのか。西郷が問うたのはそこなのだ。

渡辺とは別の回路を通じて日本の民衆世界がもっていた公平性と平等性を明らかにしたのが民族学者宮本常一だった。

とはいえ、渡辺は単なる反近代主義者ではない。そうした理解は間違いだと三浦は言う。ここが最も彼が言いたかったところだろう。この箇所がこの評論の優れた点である。そのためにも、第5章(「患者との『心中』を決意した水俣病闘争」)は必読である。

水俣闘争に関わった多くの左翼との思想的な違いがここでは全面的に展開されている。

本書は処女作「熊本県人」からスタートした渡辺京二の40数年にわたる長い知的営為を深く理解し、読み取った三浦小太郎の労作である。

今後の世界の動向を解読するための手掛かりを求めている方々にもぜひ薦めておきたい。

最後に。採算の取れにくいこの種の硬派な評論を、それもこの出版不況時に刊行された版元の志に心からエールを送らせていただきます。

4月30日
青木直人

 

★本文は明治十年戦争に自由民権の旗を掲げて参戦、4月17日、熊本八代の萩原堤で戦死した宮崎八郎の命日に書き上げたものです。

 

 

渡辺京二 (言視舎 評伝選)

 

シリーズ言視舎 評伝選
タイトル渡辺京二
著者三浦 小太郎
発売日2016年 3月
本体価格3800円
ISBN978-4-86565-048-8
判型四六・上製

人類史のスパンで世界史を見据える歴史思想家の全貌。
初めて明かされるその資質・体験・方法。
若き日に「小さきものの死」で思想家として出発した渡辺京二が、一貫して手放さなかったものは、近代という時代の不可避性を見失わず、そこで失われていくものに思想の根拠をおくことで、歴史の必然性という概念に抵抗してきたことだ。その初期から現在に至る全著作を読み解き、その秘密に迫る本邦初の評伝。

渡辺京二

 

三浦小太郎BLOG Blue Moon
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