DVD「赤報隊は本当に『右翼』だったのか」

5月16日午前8時、ニューズレター・チャイナ通信5月号を配信しました。(追記)

 

NLC講演 2018年5月
「赤報隊は本当に『右翼』だったのか
~NHKスペシャル「赤報隊事件」を読み解く」

赤報隊事件とは1987年から90年にかけて発生した8つの政治的テロ事件を指している。

  • (1)朝日新聞東京本社銃撃事件
  • (2)朝日新聞阪神支局襲撃事件
  • (3)朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件
  • (4)朝日新聞静岡支局爆破未遂事件
  • (5)中曽根康弘・竹下登両首相脅迫事件
  • (6) 江副浩正リクルート会長宅銃撃事件
  • (7)愛知韓国人会館放火事件

以上。

8件中、中曽根、竹下両事件はまとめて(5)とした。
警察庁は赤報隊を名乗る一連のテロを「116号」事件に指定した。
2003年、赤報隊事件8件はすべて公訴時効を迎え、ついに犯人は歴史の闇に消えていった。

時効により事件の風化は避けがたく、進んでいる。
だが、事件発生から30年、これを期に公にされた2つの報道が事件への関心を再び呼び起こしている。

まずNHKが「NHKスペシャルFile06 赤報隊事件」(1月27日、28日の2日間連続放送・再放送 4月11日、12日)で当時の警察関係者などに取材を行い、事件に関する新情報も交えながら、再検証に踏み切った。

またこのテレビ番組で元「SMAP」の草彅剛が演じた朝日新聞元記者の樋田毅氏もこの2月に発売された自著のなかで、事件発生から特命取材班の一員として赤報隊容疑者と目されていた人物に対するインタビューを朝日新聞社の方針として、続けていたことを明らかにしている。

この本が「記者襲撃~赤報隊事件30年目の真実」(岩波書店)である。

DVDに収録したこの講演ではこの映像と活字2つのレポートを参考に、私の推理を展開している。

最初に結論から書く。
まず、私は「右翼」ではないし、彼らの活動を支持する立場にも立たない。
そのうえで言えば、いずれにも目を通した感想として、後者の樋田氏のレポートはともかく、前者のNHKレポートからは犯人=右翼説に取材班が強く呪縛されているような印象をもった。

取材に様々な制約があるのはわかるのだが、事件の本筋の追及はなく、それでいて「犯人は右翼過激派の関係者」というイメージだけが番組全体(なかでも第2部の右翼関係者への取材)を通じるメイントーンになっているからだ。

特に第2部の最後に紹介されたネオ右翼団体の活動家が口にした「赤報隊の阪神支局襲撃は義挙である」という発言をことさらに紹介することで、赤報隊の残虐なテロリズムと現在の「日本を覆う右傾化」」が時代を超えて一本の糸でつながり、継続しているかのような構成になっていることだ。

これでは公正・中立なスタンスとは言い難く、嫌でもある種の偏向を感じざるを得ない。
偏向と感じる理由は極めて単純で、犯人が本当に右翼活動家であったのかどうか、誰にもわからなかったからである。だから時効を迎えたのだ。
真の犯人が右翼陣営の活動家ではなかったのではないか。こうした懐疑はあっていい。

そうしたもろもろの疑問を踏まえて、本動画では、そもそも犯人右翼説と、右翼でないとすれば真の実行者は誰だったのかを推理してみた。

繰り返す。私は赤報隊事件の犯人を右翼だとは思わない。逆にそうした右翼犯行説それ自体が極めて非論理的なものに思える。
なぜなら彼らを犯人とする根拠が結局のところ「犯行声明」の内容に過剰に依拠しているからだ。

突き放した言い方をすれば、「犯行声明」などどうにでも書ける。右翼を装った謀略性はあったのか、なかったのか。
私はこの事件にいくつかの団体をつなぐ裏の人脈が存在していたと思っている。

そもそも、NHKスペシャルや樋田氏の著作でも触れられているように、警察当局は最終的に犯行の疑いの濃い容疑者として9人の右翼活動家を捜査対象に絞りながら、最後には彼ら全員を「白」と結論せざるを得なかった。
捜査には百万を超える捜査員が加わり、彼らは24時間「行確」され続け、その結果が右翼活動家は犯人ではなかったという事実は重い。

赤報隊事件と呼ばれるものは全部で8件。うち、最も社会に衝撃を与えたのが1987年5月3日(憲法記念日)の神戸支局記者射殺事件である。「音もたてず、無言のまま」、「冷静に銃口を記者に向けて発射した」(銃弾を浴びた犬飼記者の証言)という異様性。銃による民間人の殺傷(死亡したのは1名だが、標的は2人だった)というやり口。
銃器の操作に慣れたプロの犯行。

で、疑問である。
この銃による殺人というテロにおける使用武器のエスカレート。
これを見る限り、当局がマークしていた既成右翼、新右翼いずれのモノとも思えないからだ。
先の赤報隊事件の犯行リスト(1~7)を見てもらいたい。

彼らの事件前までの闘争スタイルとその際の武器とはせいぜい「火炎瓶」、「爆弾」、「銃」くらいのもので、いずれも精度は高くなく、爆弾のつくりも本格的なものではない(=4)。
また、銃器使用の際も直接殺傷を狙ったものというよりも、威嚇的水準に留まっている(=1,3,6)。

そう見てみると、この中で2の阪神支局襲撃だけがあきらかに異質なのだ。
阪神事件発生時まで、つまり1987年まで銃によって非政治家である民間人をテロ対象者としてその肉体的抹殺を図るという凶暴な犯行は阪神支局殺害事件以外には見当たらない。

☆1990年の本島等長崎市長への「正氣塾」のテロは白昼公然と実行され、秘匿性はないし、市長は死亡していない。

また、92年の金丸信自民党元幹事長への発砲事件は本人には命中していない。いわゆる「カチコミ」(威嚇発砲)である。

右翼ばかりか、左翼側もそうなのだが、観念の上ではいくら過激になったつもりでも、いざ実際に殺人行為を行うとなれば、日本を覆う戦後民主主義の「生命尊重」という建前にどこかで呪縛されてしまう。もちろん重刑も嫌である。
口で言うのはたやすいが、本当に人を殺すというのはそれほど簡単なことではない。だから新右翼のカリスマだった野村修介氏は「今の右翼にあれだけのことをやれる人間はいない」と喝破したのである。

逆に、左右の政治集団のもつ思想的呪縛を越えて、平然と大規模テロを実行したのが急進的カルト集団オウム真理教であり、95年3月の地下鉄サリン事件はその嚆矢だった。

彼らは死を絶対的なもの、最高の価値と考えないがゆえに大量殺傷にも心の痛痒を感じることはなかった。市民社会の持つ一般的倫理観と世界観に呪縛される右翼と左翼。
他方、それとは隔絶した独自な世界観と宗教観を持つカルト。
そのような急進的宗教団体はオウムだけだったのか。
当時、そうしたあるカルト的宗教団体が捜査線上に浮かび、なぜかそのわけも告げられず、捜査は数カ月で「上からの意向」(当時の兵庫県警捜査員)で打ち切られている。

だが今に至るも犯行が右翼の手によるものとのイメージは根深く、しかも拡散する一方である。
それには理由がある。

捜査当局の犯人に対する読み違い、すなわち過去のある大規模捜査の成功例を赤報隊にもアプリオリにあてはめ、「犯行声明」を絶対視してしまったこと、さらに右翼団体も赤報隊事件を「我々ではない」と言いつつ、他方で事件を政治的に利用することに大きな利益を見出していたことだ。

最後に。
長々とした解説になった。後はDVDを参考にしていただきたい。
赤報隊事件について関心のある方はぜひお買い求めください。
1枚5000円。

 

※お求めは http://nlc.trycomp.com/products/detail.php?product_id=83

 

5月14日
青木直人